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らくだカイロプラクティック
らくだカイロプラクティック

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休日:木曜・第3水曜日
住所:札幌市東区苗穂町3丁目
4-18 DearCourt苗穂101(1F)
TEL-011-742-8833
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~「脱ゆがみ=うきうきな毎日☆」~これを知れば何か得られるのかも・・・?!


これはすべて個人の感想で、エビデンスが担保されているものでもありません。

また、万一、私の表現であなた様に、混乱、不安、不快感を抱かせてしまったのであれば、それはまったくの本意ではないことをご理解して頂けましたら誠に幸いに思います。

※~「脱ゆがみ=うきうきな毎日☆」~のPDFデーター・ダウンロードはこちらPDFダウンロードページへ行く

12、「自由とは孤独なり、孤独とは自由なり」

さて、10で記したように、相対的自己評価に誤りが少ない人 (=己を知る人) であるほど、恐怖と孤独に耐性があるとも言えますが、

しかしながら、孤独と恐怖に克つ過程において、必然的に、偏屈性を獲得する傾向にあるとも言えるので、

「アルプスの少女・ハイジ」でいう「アルムおんじ」の如く、「変わり者」というスティグマ(刻印)を貼られること自明でもあります。

代わりに、様々な束縛から開放され自由であるともいい得ます、ただひとつ、つまり、孤独を除いては・・・。

即ち、10で記したように、「自由とは孤独なり、孤独とは自由なり」ということなのかも知れません・・・。

再度、「ハイジ」の話になりますが、ゼーゼーマン家の執事である「ロッテンマイヤー女史」は頑固で融通が利かず、また、お家のため、秩序にもうるさいというきゃらでした。

そんなきゃらであるほど、対極的であるハイジのように自由奔放であり、かつ、秩序を脅かすような存在を疎んじるといい得ます。

アニメの世界に限らず、現実世界においてもよく見られる光景だと言えます。

即ち、「ロッテンマイヤー」が「ハイジ」の影響を排しようするほど、

11で記した「皮肉過程論」の法則により、皮肉にも、脳内がハイジ(=粒子ともいい得る)のことでいっぱいになり、結果的に、ハイジの影響を受けざるを得ないので、

ハイジを絶対悪と固定し排除させることで、「ロッテンマイヤー」は、自らのきゃらを頑なに守ろうとすると言えます。

(そのとき、秩序付けのため、大義名分に4―(1)が加わる傾向にあるとも言える)

そして、ハイジのあらを執拗に責めることで、ハイジは追い詰められ、結局、夢遊病になってしまいます。

現実世界でも、対極にある思考を監視プロセスで排除しようとするほど、やはり、対極粒子で脳内がいっぱいになり、

だんだんとその粒子の影響を受けていくとも言えます。

即ち、「これはこうでなければいけない」「これはこうあるべきだ」などという思い込みが強いほど、

上記4の「ニュートンのゆりかご」の如く「運動量保存の法則」で、その対極粒子も強く影響を受けるといい得るので、

「理想主義」にして「思い込みが強い傾向にある人」であるほど、しまいは、「みいらとりがみいら」「ごみとりがごみ」となるのかも知れません。

(「スリパー効果」のメカニズムを説明するひとつであるともいい得る)

故に、倫理性が強く求められるであろう職業に従事しており、「これはこうでなければいけない」「これはこうあるべきだ」などと思い込みが強くなるほど、

ある意味、自己が「諸刃の剣」となるリスクに苛まれると言えるのかも知れませんし、

他者が、そんな職業の人に、「これはこうでなければいけない」「これはこうあるべきだ」と執拗に求めるほど、

ある意味、その他者は、無意識に、そんな職業の人を「諸刃の剣」とするリスクに苛まらせてしまうと言えるのかも知れません。

言い換えると、思い込みが希薄、つまり、ある意味、「デザートは別腹」の如く「これは、これで、いいかも☆」という感じで、

曖昧にして変わり身が早い人であるほど、実は、包括的には、よかったりすると言えるのかも知れません。

若しくは、上記10で記したように、勇気ある事実認知をすることも、選択肢であるとも言えます。

或いは、物理的には、(対極粒子の)質量とエネルギーは等価なので、エネルギーを排出させるが如く、運動したり、ジムなどに通ったりすると、

その対極粒子の影響は、ある程度回避し得るとも言えます。

或いは、気が済むまで、もう、飽きて考えたくもないという領域、

つまり、「にっちもさっちもどうにもブルドッグwow(=開き直る)」という領域に至るまで、とことん考え尽くすのも、選択肢であると言えるのかも知れません。

つまり、「ロダン」の「考える人」から、ときには、「ハイジ」の如き、自由奔放にして素直にして素朴なる振る舞いも、それは、それで、よいのかも知れません・・・。

いずれにせよ、人は、そういう感じで、日々、相互リンクにして相補性たる心身と人間関係を相関させながら、心理戦(mind-game)をしていると言えるのかも知れません・・・。

13、劣等感

人は、何かしらの劣等感(コンプレックス)を抱いていて、その劣等感克服動機が、適応(防衛)規制として働き、

人に緊張や不安を感じさせ、努力や成長、自棄や嫉妬などといった煩悩的情動を作らせると言えます。

ある意味、文化・芸術・科学というのは、クリエイターやイノベイターが所持するところの劣等感を感性により置換・昇華させたものであるとも言えます。

即ち、劣等感はgut(グート=善)にしてböse(ベーゼ=悪)でもあるので、ある意味、「諸刃の剣」であるとも言えます。

そして、劣等感と自尊心は強い相関関係にあると言えます。

さて、かつて、かの、財津和夫は、「愛を知ったために涙が運ばれて・・・」と唄いましたが、

そんな感じで、何かを知るほど、それに相関され、何かが刺激され、結果的に、何かが起きるといい得ます。

言い換えれば、その何かを知らなかったら、それに相関された何かも起きることはないのかも知れませんが、愛を知ることも、また、ないのかも知れません。

即ち、知ることも、gut(グート=善)にしてböse(ベーゼ=悪)であり、ある意味、やはり、「諸刃の剣」であるともいい得ます。

つまり、(他者に煽られたりして)何かを知ると劣等感が刺激され、副次反応で不安・緊張を感じて、それらを何とか克服・解消しようとするのかも知れません。

その自力克服が困難だと認識した場合、コンプレックス産業を利用したり、家庭、学校、職場においてパートナーを見つけ、

何らかの方法で劣等感の克服を要求したりするのかも知れません。

煩悩的情動反応としては、

(1)他虐傾向が強い場合→

劣位性を持つ人を見て自己を慰める、優位性を持つ人を貶める、より、強度な反応としては、劣位性を持つように他者を陥れるなどで自己・他者価値下げ

(2)自虐傾向が強い場合→

自罰・自傷行為、依存症、妄想的白日夢などで自己・他者理想化

(3)両型を混在させる

などが考えられるといい得ます。

そのとき、相互リンクにして相補性たる心身と人間関係を相関させながら、

心身では報酬系を関与させつつ、様々な神経伝達物質や脳内麻薬様物質が放出され、自律神経もうごめき、(平滑筋、横紋筋含む)筋も相関反応をして、

それらがパラメーターとなり何らかの「クオリア(感覚質)」を作るといい得ます。

結果、6に記した通り、ある人は、それを「痛い」、ある人は「だるい」、ある人は「こる」、ある人は「重痛い」、ある人は「ずきずき痛い」、

また、ある人は「あまり感じない」、また、ある人は「心地よい」、

また、ある人は、「悔しい」「憎い」、或いは「恋しい」、「愛しい」などと感じて訴えるかも知れません。

つまり、知ることは、gut(グート=善)にしてböse(ベーゼ=悪)でもあるので、

それを踏まえた上で、知ろうとすることはエピステーメー(真知)であるが、一方的にグートやベーゼのみを求めるなら、

それは、ドクサ(虚知)となり、新たなる苦悩が永遠回帰に創造されると言えるのかも知れません・・・。



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